DMR25th Aniversry ~Original Story~

2021.05.14

DMR25th Aniversry ~Original Story~

 

回想~ DMR 25周年を振り返る ~

イギリス南西部にあるコーンウォール在住のRuss Pierre(以下、ラス)は、1995年のDMR立ち上げの手助けをした人物である。

ラスは彼の “Family” に会うため、イギリス南東部に位置するサセックスへと赴き、そこでDan Beamish(以下、ダン)、Matt Ryley(以下、マット)、Damian Mason(以下、ダミアン)と会い、DMR発祥の地を巡った。

ダンとラスは、サセックスのゴールディングバーンで小さなBMXショップを経営していた。この店の裏側は、創業当時のDMRのオフィスがあった場所だ。DMRの創設者であるマットとダミアンは、今もDMRのオーナーである。

 

ラスのコメント

DMR25周年記念Tシャツを着て、真新しいDMR?Sectにまたがり、パンプトラックに到着。同じく25周年を記念して作ったクールなキャップをかぶっているせいか、今日の走りは今までにないほど気持ちがよかった。

これまでを振り返ると、私はDMRのために多くの時間を費やしてきた。

あるとき、地元の若者に「DMRは最高の自転車を作っている」といわれた。

それに付け加える様に彼の仲間がこういったのだ。

「DMRが手掛ければ、すべてが最高になる」

その言葉を聞き、私はとても誇りに思った。

それには理由がある。

 

DMRが10周年を迎えたとき、この若者たちはまだ生まれたばかりだったはずだ。彼らがちゃんと自転車に乗れるまでに10年を要し、彼らの自転車にDMRのパーツが必要だと理解するにはさらに数年を要したことだろう。彼らは地元のパンプトラックで自分の自転車に乗り、ブランドとしてのDMRの重要性を理解したのだ。

 

Unit9Fの狭くて質素な場所。今や世界中で愛されるDMRブランドの原点がここにある

 

DMRの原点~はじまりの場所~

1995年、DMRは工業団地の一角にある牛小屋を改装したBMXショップの裏に、小さなオフィスを構えた。DMRの成り立ちを語るうえで、この場所を欠かすことはできない。

ゴールディングバーン工業団地や、モトクロストラックであるゴールディングバーンレースウェイも、けっして名の知れたレースコースではなかった。

 

ビーミッシュファミリーが今でも所有しているこのコースは、英国のモトクロスの歴史の中でも象徴的な存在であり、紆余曲折を経た70余年の歴史を持っている。?現在でも4世代目となるビーミッシュレーサーたちがこのコースを駆け巡っている。その光景は当時と何も変わらない。まるで大自然のなかにある谷のような、くぼんだボウルのなかを走るこのコースは、今も昔も天然のスタジアムそのものだ。

 

モトクロスへの情熱は、ビーミッシュファミリーによってしっかりと受け継がれている

 

モトクロスライダーにあこがれた幼少期~谷を駆け抜けた美しいサウンド~

まだ私たちが子供だった1970年代後半から1980年代初頭の話だ。私たちは、ある丘の上まで行き、白線の引かれたレースコースで競い合う当時のトップライダーたちの走りを眺めていた。

ビッグな500ccの怪物たちが奏でるご機嫌なサウンドや、まるでハチの群れのような125ccのレースなどなど……。大勢のライダーたちが横一線に並び、一斉にスタートする光景がとても好きだった。北から南に風が吹けば、その美しいサウンドは、谷を伝って何マイルも先から聞こえてくるのだった。

 

私たちが育った街のすぐ近くでレースが始まったと聞けば、ギアなしの自転車に乗り全速力で丘の上まで走っていき、夢中でモトクロスレースを観戦したものだ。選手たちの食事休憩のためにレースが中断すると、私たちは「BMXでもない、ギアなしの自転車」で巨大なテーブルトップを走って楽しんだ。そのたびに運営の人が飛んできて「会場から出るように」と叱られると、私たちはハンバーガーやホットドッグを手に、また最高の眺めの丘に戻り、レース観戦を楽しんだのである。

 

今日はラスが創設者とアスリート達から新しいDMRを受け取っている

 

レースが終わるとすぐに、私たちはその日見たトップライダーたちのテクニックをマネしながら帰ったものだ。昔の子供たち(私たち)がそうしていたように、1995年になっても同じ場所で同じ情熱を持った子供たちが自転車に乗っている。

丘の上から見た光景とその思い出は、私たちにとって当時を振り返るうえで、とても重要なのだ。?そして、この様ないきさつから、私は親友のDanと自然な流れでBMXショップを始めたのである。

 

DMRの歩み~変わらないもの~

ダンはモトクロスレースを引退し、私はちょうどビジネスとレジャーの学位を取得するため学校に通っていた。学位を取得する直前にダンが私に「BMXの世界に戻りたくないか?」と尋ねてきた。彼はマットや

ダミアンからBMXのフレームを輸入するために台湾の会社とコンタクトを取っていることを聞いており、

マットとダミアンも同様に、彼らの考えを実行に移すために、さらなるアイデア(私)を必要としていたのだ。

私たち4人の年齢が近かったこともあり、私はこのチャンスに飛びついた。と同時に、BMXが我々の幼少時代のゆるぎない絆であったことを再認識したのである。

 

最新のDMRバイクは急速に廃れてしまうダートジャンプマーケットの背景に対抗し、新旧のコントラストを垣間見ることができる

 

私たちの店はかなり手狭で、DMRのオフィスはさらに小さかった。オフィスはUnit9Fという辺鄙な場所にあり、駅から遠かったこともあり、通りすがる客もほとんどいなかった。しかし、幸いなことにモトクロスショップが私たちの店から2ユニット離れた場所にあり、モトクロスで遊んでいた子供たちがBMXに乗ってくれることもあった。大きな街から両親が運転する車に乗って遊びに来る子供たちもいれば、昔の私たちのように周辺の街から走って遊びに来てくれる子供たちもいた。

店の前にある古い資材置き場には、いくつかのトレイルがあり、大きいテーブルトップやグレートヒップ(※飛び出し面と着地面が別々になったジャンプ台のこと)、小さなリズムセクションなどがあった。子供たちが新しいバイクを買い、トレイルを走りに来る。バイクが少し壊れたときには、その日の終わりに修理したものだ。それはまるで、サマーキャンプのようなささやかで楽しい光景だった。

1990年代半ばのBMXはエネルギーに満ちており、その真っただ中をDMRは歩んでいったのである。

 

ステイニングのそばにある丘は、ローカルライダーにとって最新の遊び場だ

 

Brian Foster, Dale Holmes, Dylan Clayton, Stephen, Martin Murray, Chico Hooke, Paul Roberts, Mike Baggs、何人ものすばらしいライダーたちが私たちのトレイルを訪ねてくれた。

ロンドンから縦断の旅の途中だったChicoは、子供たちの指導のために私たちが企画・開催したレース(ロングジャンプ、ハイジャンプ、スプリント)を手伝ってくれただけでなく、レースにも参加してくれた。その後、彼らの4XチームはDMRに乗ることになった。

 

雨の日には、子供たちは店内でProps(BMXのビデオ)を見たり、冗談をいったりして過ごした。地元の子供たちは、すばらしいライダーへと成長し、その中にはトム・ラングのようにDMRで働くようになる子もいた。彼らはオリジナルのトレイルを造り、ダートジャンプシーンに熱中した。そこで走っていたひとりの若者Scott WaterhouseがBMXに夢中になり、2018年のワールドBMXチャンピオンシップで初優勝を飾った。?彼はチームGBで走った。

 

トレイル、それはまるで仕事のようで、献身的に一生懸命働く場所である

 

ダミアンとマットは、ただその光景を見ていたわけではない。我々はその喜びを分かち合い、そして彼らはそのチームの一員だった。彼らのオフィスがまだBMXショップの中に無かった頃、すばらしい物がデザインされ、やがてDMRは現実味を帯びたものとなったのだ。

私はダミアンがマルチツールを使って、ただのプラスチックのかたまりのようなものからペダルを削りだしたときの光景を、今でも鮮明に覚えてる。それは、世界で最も売れているペダルである「V8」の最初のデザインを慎重かつ丁寧に創り出した瞬間だった。

新旧の自転車パーツのサンプルやスケッチ、デザイン、メモ用紙や工具等に囲まれた彼のデザインボードは1インチの鉄格子がついた窓の下にあり、完璧に設計された「DMR Chain tugs」の図面に光が当たって輝いていた。

 

何も変わってない。

 

ダミアンは昔から常にあふれるデザインとインスピレーションに満ちたアイデアに囲まれて生活をしている。もしかしたら、あなたにはこの乱雑で散らかった状態は快く思わないかもしれない。しかし、想像してみてほしい。BMXショップの裏のオフィスでこれからグローバルブランドを創り上げていくためにきれいに整ったスペースが用意されていたとしても、外から元気でエネルギッシュな子供たちの声が聞こえたり、ダートジャンプで絶えることなくクラッシュを繰り返したりして、怪我が絶えない光景が常に目の前で繰り広げられているのだ。実際、あなたがこの光景を目にしたら、ただ笑うしかないだろう。今もダミアンは変わらずに、謙虚に「常に店の外で起こっていること」に焦点を当てて、デザインを通じて需要を生み出しているのだ。

 

オーナーのダミアンは、レトロなオリジナルのトレイルスターを愛用している

 

DMRのマーケティング~古き良き時代の情熱~ 

マットはブランドの認知度を高め、流通を生み出した。今となってはインターネットで自転車本体やパーツを見たり、スマートフォンをスクロールしてSNSを検索したり、お気に入りのライダーが「YouTube」で制作した動画を確認したり、さまざまな大会をライブでストリーム再生できたり……。当然のようにメールは瞬時に送信されて、容易にコミュニケーションが取れるようになった。しかし、25年前は今とは違った。1995年に戻ったとして想像してみてほしい。

まだインターネットが普及していなかったので、当然、オンライン上でブランドの訴求をすることはできなかった。SNSももちろんなく、デジタルカメラが登場するのは、さらに10年先の話である。そのような中でマットはグローバルなブランドを創り上げたのである。

印刷物の作成、ショーへの出展、営業の雇用、古き良き時代のマーケティングを駆使しつつ、とても優秀なライダーともチームを組んだ。BMXとMTBマガジンへの4分の1ページの広告は習慣的に行われ、だいたい1、2枚の製品写真を掲載していた。カメラマンがまだフィルムを使用していた時代。そんな時代に何千枚もの写真を、森の中で皆がBMXやMTBを乗る姿をよどみなく撮り続ける光景を想像してみてほしい。

 

商品に合わせてマーケティングの方法を変えている

 

何枚かの35mmフィルムロールですばらしいイメージを切り取る訳だが、それは現在と同じく情緒あふれるものでなくてはならなかった。処理時間、印刷時間、雑誌の販売、問い合わせの電話を待つ時間、支払いの小切手は手書き、封筒に入れて投函、固定電話による通信……、そんな時代。携帯電話は一般的ではなく、1996年当時に携帯電話を所有している人は約15%しかいなかった。そのため、電話はオフィス宛にかかってきた。

これはいわば、古き良き時代のブランド認知のための手法だ。マーケティングの基礎を成す4P、すなわちProduct(製品)、Price(価格)、Place(場所)、Promotion(プロモーション)のすべてが機能していた。?そして、DMRのロゴと5番目のP、Packaging(パッケージング)。大胆なDMRのロゴと美しいデザインが施された段ボール箱。プラスチックは見当たらない。これがいい。

 

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マット、ラス、ダン、そしてダミアン。ただの普通の男たち

 

DMRが大切にしたもの ~自転車が好きだから、自転車に乗る~

パンプトラックで若者が「DMRが手掛ければ、すべてが最高になる」といったとき、私は誇りに思った。?1995年にビジョンを描いたところから、DMRの物語が静かに始まった。BMXが成長期の真っただ中にある中、DMRが大切にしたものは、「ライダーはライダーであること」。ある週末はバックヤードでジャムをし、また別の週は国内やヨーロッパのチャンピオンと競い合う。そこには、レーサーとかダートジャンパーといった区別はなく、「ただただ自転車が好きだから、自転車に乗る」。そのエネルギーを大切にしたかったのだ。

 

私たちはライダーの家族の一員のような存在でありたいと思っている。そして、最高のライダーたちに長年にわたり愛され続けてきた。トップライダーたちと「最高の製品を作る」ために設計と開発を共に行い、歩んできたのである。

Brendan Fairclough、Olly Wilkins、Andreu?Lacondeguy、Sam Reynolds、Jimmy Pratt、Ben Deakin、Duncan Ferris、Jono Jones、そして最近ではKJ Sharpといったライダーたち。レース、ジャンプ、ジャム、フリーライド。それはDMR商品にとっての証であり、またそれらへの信頼に他ならないのである。

 

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だからこそ、誇りに思うのだ。DMRのパーツを装着し、真新しいDMR Sect Proにまたがりパンプトラックを走ることを。DMR VaultsペダルにハイトップのVansを履いた私の12歳の息子とともにここにいることを、そして、ダミアンとマットが25年前に始めたものが、次世代のライダーたちへと受け継がれていくことを。

 

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